観劇日記
- 2022/08/26
- 00:12
芸に携わる人間は皆、当たり前ですが、観劇が好きです。
末席のわたしとて例外ではなく、お芝居やら音楽やら、若い頃は暇をみて劇場に足を運んだものです。
観劇絵日記をスケッチブックに水彩で描いたりして。
暇だったのかもしれないなあ。
初めてのお能は能面からはみ出た顔が気になったとか、スマホのない時代だから会場まで迷っておっさんに助けてもらったり、帰りの居酒屋がアタリだったりハズレだったりアタリだったり超アタリだったり、日常の鬱憤を重ね合わせたり・・・
そんな日記だから大したことは書いてないんだけど、観劇が生活の一部で、何かを観るのが潤いだったんだなあと思います。
というのも、山形の田舎で育ったわたしは子どもの頃、テレビ以外の芸能に触れることはあまりなかったのです。
そのテレビも民放は2局だったし。
唯一、「こども劇場」といったと思うんですが、観劇団体みたいなのに母が入ってくれていて、年に何回か、よそ行きを着せてもらって出かけたのを覚えています。
はじめて観た生のお芝居は、感動的でした。
大阪で生まれ育った我が家のこどもたちは、幼稚園に入ったら夏休み文楽に毎年連れて行くと決めて、長らく続いた年中行事でした。
でもだんだん今どきの好みになってきて、息子高2は、とある人気バンドが大好き。
ライブのチケットをとるためにファンクラブに入り予約ナンバー入りのCDを買い、大阪だけでなく横浜や東京のライブに手当たり次第申し込んでことごとく外れてきたんだけど、やっと名古屋のライブに当選したそうです。
2年越し。
息子や昔のわたしのように楽しみで劇場に通うのが原点ですが、わたしたちは一方で勉強という意味合いがあります。
最近は大人しくなっていたのを反省し、また思うところもあり、分野を問わず、気になったものや勧めていただいたものは時間の許す限り観てみようと決めました。
で。
7月に観た「リーマン・トリロジー」が凄かった。
リーマン三兄弟がアメリカに移住してからリーマンショックまでの、リーマン一家のお話。
ロンドンでの舞台を映像化したものが京都のアップリンクでかかるという、馴染みのところでいうとシネマ歌舞伎のような感じでしょうか。
三兄弟を俳優さん三人が、でも他の登場人物も三人が代わる代わる演じるんです。
つまり、おしまいまで役者は三人。
150年のリーマン家の栄枯盛衰を演じきります。
移り変わる一族のトップも、その敵も取引相手も、女性も子どもも赤ちゃんも村人も、三人で。
衣装とかヘアメイクではなく、仕草や声のトーンといったもので目まぐるしく演じ分けていく。
さらに舞台音楽はピアノ一台の生演奏。
このピアニストがまた素晴らしく、四人目の役者のように活躍するのでした。
京山小圓嬢師匠が、「このはなしは簡単なように見えるかもしれへんけど、出てくる人が多いほど、場面転換が多いほど、難しいもんなんやで」とおっしゃっていました。
そういう演目こそ、三味線がきちんと働かなければ成立しない。
場面転換の手(ブリッジと言います)というのが浪曲にはありますが、それだけでは足りず、パッと舞台が変わったように、人物がみえるように、その場面の雰囲気が出るように、三味線も工夫するわけです。
リーマンの舞台は、透明の箱のようなセットの中で完結します。
空間も役者も音楽も、削ぎ落とし厳選され、まるで緻密な落語や浪曲のよう。
いやあ、ホントいいものを観せていただきました。
浪曲にいかせる日が来るまで、しばしお待ちくださいませね。
末席のわたしとて例外ではなく、お芝居やら音楽やら、若い頃は暇をみて劇場に足を運んだものです。
観劇絵日記をスケッチブックに水彩で描いたりして。
暇だったのかもしれないなあ。
初めてのお能は能面からはみ出た顔が気になったとか、スマホのない時代だから会場まで迷っておっさんに助けてもらったり、帰りの居酒屋がアタリだったりハズレだったりアタリだったり超アタリだったり、日常の鬱憤を重ね合わせたり・・・
そんな日記だから大したことは書いてないんだけど、観劇が生活の一部で、何かを観るのが潤いだったんだなあと思います。
というのも、山形の田舎で育ったわたしは子どもの頃、テレビ以外の芸能に触れることはあまりなかったのです。
そのテレビも民放は2局だったし。
唯一、「こども劇場」といったと思うんですが、観劇団体みたいなのに母が入ってくれていて、年に何回か、よそ行きを着せてもらって出かけたのを覚えています。
はじめて観た生のお芝居は、感動的でした。
大阪で生まれ育った我が家のこどもたちは、幼稚園に入ったら夏休み文楽に毎年連れて行くと決めて、長らく続いた年中行事でした。
でもだんだん今どきの好みになってきて、息子高2は、とある人気バンドが大好き。
ライブのチケットをとるためにファンクラブに入り予約ナンバー入りのCDを買い、大阪だけでなく横浜や東京のライブに手当たり次第申し込んでことごとく外れてきたんだけど、やっと名古屋のライブに当選したそうです。
2年越し。
息子や昔のわたしのように楽しみで劇場に通うのが原点ですが、わたしたちは一方で勉強という意味合いがあります。
最近は大人しくなっていたのを反省し、また思うところもあり、分野を問わず、気になったものや勧めていただいたものは時間の許す限り観てみようと決めました。
で。
7月に観た「リーマン・トリロジー」が凄かった。
リーマン三兄弟がアメリカに移住してからリーマンショックまでの、リーマン一家のお話。
ロンドンでの舞台を映像化したものが京都のアップリンクでかかるという、馴染みのところでいうとシネマ歌舞伎のような感じでしょうか。
三兄弟を俳優さん三人が、でも他の登場人物も三人が代わる代わる演じるんです。
つまり、おしまいまで役者は三人。
150年のリーマン家の栄枯盛衰を演じきります。
移り変わる一族のトップも、その敵も取引相手も、女性も子どもも赤ちゃんも村人も、三人で。
衣装とかヘアメイクではなく、仕草や声のトーンといったもので目まぐるしく演じ分けていく。
さらに舞台音楽はピアノ一台の生演奏。
このピアニストがまた素晴らしく、四人目の役者のように活躍するのでした。
京山小圓嬢師匠が、「このはなしは簡単なように見えるかもしれへんけど、出てくる人が多いほど、場面転換が多いほど、難しいもんなんやで」とおっしゃっていました。
そういう演目こそ、三味線がきちんと働かなければ成立しない。
場面転換の手(ブリッジと言います)というのが浪曲にはありますが、それだけでは足りず、パッと舞台が変わったように、人物がみえるように、その場面の雰囲気が出るように、三味線も工夫するわけです。
リーマンの舞台は、透明の箱のようなセットの中で完結します。
空間も役者も音楽も、削ぎ落とし厳選され、まるで緻密な落語や浪曲のよう。
いやあ、ホントいいものを観せていただきました。
浪曲にいかせる日が来るまで、しばしお待ちくださいませね。
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